こんなことありました/ヘブンズフォーチューンチャーチ(天運教会)

教会に通うある主婦の心に残る思い出や、心に響いたものごと

コロナ自宅療養を経験(≻≺)

先日、とうとう私と子ども二人がコロナウィルスに感染してしまいました(T_T)

自分なりに、感染対策は徹底していたつもりでした。
コロナ禍で長らく、教会の礼拝やイベントはすべてオンライン開催のため、
大勢が集まる場所に行ったのは、子どもの卒業式、入学式のみで、
その際も屋内ではどなたとも一言もしゃべりませんでした。
私も子どもたちもワクチンは2回目接種まで終えていて、3回目接種も予約したばかり。
(コロナウィルスに感染した場合ワクチン接種は回復後1カ月から可能だそうです💧)

日頃、外出時のマスク、アルコール消毒はもちろん、
買い物した商品は、果物野菜は洗ってから冷蔵庫に入れ、すべての商品パッケージや
宅配で届いたものもアルコール消毒していました。
子どものお友達が遊びに来るときは、消毒やマスク、換気をしっかりしてもらい、
トイレや洗面所のタオルは使い捨てのペーパータオルにしていました。

3人とも花粉症で、目のかゆみから始まり、鼻水・咳が出始めた頃に
「一応マスクと消毒徹底ね!」としつこく言っていたものの
ほどなく、症状が一番少なかった私が急に悪寒、発熱に見舞われ💧
市販の検査キットで陽性になりました(><)

同じ日に上の子も発熱、母子3人病院で受診・PCR検査し、熱が無かった下の子も含め3人とも陽性という結果に(><)


教会では、前述のようにコロナ禍で集まりがすべてオンラインになっていたのと、
「熱が無くても風邪症状があったら接触を控える」ことが定着しています。
このため、教会での感染拡大の心配を全くしないですんだのは、本当によかったです!
そして、療養しながらもオンラインで礼拝のメッセージを聞けて、
霊魂の糧をいただけたので、神様のあたたかい愛を感じて過ごすことができました。


また、教会の医療関係者の方々が日ごろから発信してくださる情報があったり、
何かあったら相談に乗ってもらえたり、会えなくても気にかけてくださり、
祈って下さる方々がたくさんいて、本当に心強かったです。


療養中の食糧は(そもそも食欲がないのでそれほどの量は必要なかったですが)
最初の2日くらいはあるものでしのげたのと、
単身赴任の主人がお茶やスープ、ジュース、果物などを宅配で送ってくれてました。

パパから差し入れ


また、子どもの高校のお友達が、玄関前にレジ袋いっぱい、
ゼリーやヨーグルト、飲み物などを置いて行ってくれたことも(;_;)


幸い、私も子どもたちも、3日目にはみな平熱になり、順調に回復して10日の自宅療養を終え、
今のところ後遺症も出ていません。濃厚接触者になった子どもたちの学校のお友達が一人も
症状が出ずにすんだことも、本当に感謝するばかりです。


ただ、2,3日ではありましたが熱と頭痛、吐き気と胃腸の不調、関節痛や、熱が下がっても物を飲み込めない喉の痛み、倦怠感などはやはりかなりヘビーでした。。。


今回の経験で、多くの方々がコロナウィルスによる辛い症状(場合によって命の危険まで)、隔離生活の不自由さ、回復後の後遺症の苦しみにあることを、改めて”自分事”と感じるようになりました。
家族や知人のみならず「一人でも多くの方がこのウィルスから守られますように!」と切実に祈りたくなります。
そして、みんながそのような切実な心で、苦しむ人々のことを自分のことのように祈り、自分の位置でできる最善を尽くせたら、より早く終息するのでは?とも思いました。


そして・・・
コロナウィルスのことに限らず、ウクライナでの戦争や、全世界で苦しみ、困難にある人たちのことを、一人でも多くの人が”自分事”として切実に祈り、考え、自分の位置で最善を尽くしていけたらいいな、とも思います。
この時代、「世界で起こっていること」は、「自分に起こっていること」なのだから。



<当サイトで掲載の写真・イラスト・文章等の転写・複製・スクリーンショットを禁じます。>

今年見る景色は…?

新しい年が始まりました。
コロナウィルスの感染拡大が続く中で、
自分の力や努力をこえたところで与えられている「今」を感謝し、
一人でも多くの尊い命が守られることを切実に祈る年明けです。


さて、神様が創造された自然はさまざまに神様のメッセージを伝えてくれることを聖書で学びましたが、
お正月に見た景色から受け取った神様の(?)メッセージがありました!


コロナ禍での運動不足解消をめざし、今年は毎日走る決心をしました。
元旦はちょこっと走っただけでしたが、2日は気合を入れて4キロ走りました。
冬の朝は空気も澄んでいて、走れば体もすぐ温まるし、気持ちいい!
と思ったのもつかの間、息が上がるし、足が重いし、
さぼっているうちにこんなにも体力が落ちたのか…トホホ…
毎日続けられるかなぁ…と若干決心が揺らぎそうになりました。

とりあえず今日走りきることに集中しよう、
タイムを計るわけでもないので、毎日続けることを目標にしよう、
と、苦しくなったらウォーキング。
「神様が見せて下さる景色だって楽しもう。そうそう、富士山も見えたはず…」
と思ってと目を上げてみると・・・見えました!

f:id:mimipyon:20210115181213j:plain
家々、山々の向こうにちょっと頭を出している富士山。

美しく神秘的で雄大な富士山。分かればそこに変わらず存在しています。
でも、意識を向けなかったり、家々、山々に気を取られていたら見逃してしまいます。

神様もそうだな~
目の前の物事や人にばかり意識を向けていると、見失ってしまう…


今年一年、
苦しくなる時には
思ったスピードで行けないことに落胆してやめるより
こだわりを捨て、ペースを落としてもとりあえず前進してみよう。
どんなときも心の目で神様を見失わないようにしよう。
神様が見せてくださる景色に目を向けてみよう。


そんなメッセージを胸に刻み、
今年一年、神様が真ん中にいて下さる色んな景色を心のアルバムにおさめられたら…✨


※当サイトで掲載の写真・イラスト・文章等の転写・複製・スクリーンショットを禁じます。

敵をも愛する

今年はコロナ禍で世界中の多くの人々がイエス・キリストの名のもとにいっそう祈りを共にした年でした。

https://media.vpoint.jp/wtview/wp-content/uploads/2020/03/ph200321-51.jpg

新型コロナウイルスの感染者が確認された各国・地域の旗が投影された「コルコバードのキリスト像」=18日、ブラジル・リオデジャネイロ(AFP時事)


前回、クリスマスにちなんだ記事の最後に、
「次回はクリスマスの主人公イエス・キリストが伝えた「愛」について
聖書の言葉をご紹介したいと思います✨」とお伝えしました。
mimipyon.hateblo.jp


イエス・キリストは世に表れてたった3年半の短い生涯でした。
神様の愛を世の中に伝え、ご自身もその愛を貫いた人生。
その愛の大きさを表す有名な聖書言葉の一つが

「敵を愛し、迫害するもののために祈れ。」
(マタイによる福音書5章44章)です。

クリスチャンであるかにかかわらず、聞いたことがある方も多いことでしょう。

この言葉には続きがあります。

「こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。
天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、
正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。
あなたがたが自分を愛するものを愛したからとて、なんの報いがあろうか。」
マタイによる福音書5章45~48節

ちなみにこの言葉の前にはインド独立の父、ガンジーが強く影響を受けたという
有名な言葉があります。

「悪人に手向かうな。もしだれかがあなたの右の頬を打つなら、他の頬をも向けてやりなさい。

これらはイエス・キリストが弟子たちに語った言葉です。
そして言葉だけではなく、イエス・キリスト自身が壮絶な苦難の中で
命がけで貫いた「完全な愛」でした。


イエス・キリストは、宗教人たちを中心に人々に迫害され
十字架に磔(はりつけ)にされるに至りました。
しかし、その身体的な極限の苦痛に加え、あらゆる誹謗中傷の苦痛の中で、
自分を憎んで殺そうとしている人々のために祈った言葉が…

「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです。」


本来十字架の刑は凶悪犯に該当する刑でした。
イエス・キリストを殺した人たちこそが負うべき十字架の刑。

命をかけて、敵を愛し、迫害するもののために祈り、
「完全な愛」を身をもって示したイエス・キリストの最後でした。


人類が直面するコロナ禍にあって、
自分や、自分を愛する人たちだけを愛する
ちっぽけな愛の世界を抜け出し、
敵までも愛する愛が広ることを切に祈ります。
まずは自分自身から…

年末年始、みなさんのご健康と安全が守られますように。


※当サイトで掲載の写真・イラスト・文章等の転写・複製・スクリーンショットを禁じます。

知ってても知らなくても

しばらくぶりの投稿になっていましましたが💦
今回は天運教会の🎄アドベントブログ🎄企画に参加させていただきました!
https://adventar.org/calendars/5813


クリスマスは、普段以上に人々の心が
何かあたたかくなる素敵な季節。


コロナ禍にある今年は
集まって食べて飲んで
にぎやかに過ごすクリスマスではなく
クリスマスの意味について見聞きし考えたり、
苦痛や困難に直面している方々のために祈り、
1つでもできることを考える
そんなクリスマスにしたいと思います。


さて、クリスマスはもともとキリストの生誕を記念する日。
ローマの太陽神を祭る行事と一体化してこの日になったそうです。
本来、クリスマスのメインキャストはサンタクロースではなくイエス・キリストですね。
でもサンタクロースもイエス・キリストと深いかかわりがあります。

実在したキリスト教の司教セント・ニコラウスの逸話がもとになっているからです。
キリストを宣べ伝える司教であり、貧しい子どもたちを救うために奔走したセント・ニコラウス。
ある貧しい家で身売りを迫られていた娘たちを救うために
セント・ニコラウスが金貨の袋をを煙突から投げ入れたら、
ちょうど暖炉の脇に干してあった靴下に入ったそうです。
このことから、クリスマスに子どもたちに靴下に入れたプレゼントを渡すようになったとか。
セント・ニコラウスが着ていた司教の正装は赤い服でした。


毎年クリスマスの時期にしみじみ思うことは
人々が知っていても知らなくても
その日に人々の心をあたたかくしてしまう…
人々に愛と平和を願う心を抱かせてしまう…
それはきっとイエス・キリストが命をかけて伝えた愛の威力…!!


次回はせっかくなので、クリスマスの主人公イエス・キリストが伝えた「愛」について
聖書の言葉をご紹介したいと思います✨


※当サイトで掲載の写真・イラスト・文章等の転写・複製・スクリーンショットを禁じます。

幼な子と祈り

ずいぶんと間が空いてしまいましたが、
目の前のことでバタバタしている日々
どこに入れたか忘れていた宝物をふとした瞬間に見つけて宝石箱におさめるように、
マイペースで綴っていきたいと思います。
よろしかったら、むかし話におつきあいくださいm(__)m

f:id:mimipyon:20201006155050j:plain

母子で経験した忘れられない「奇跡」

もう10年以上も前、長女がある教会幼稚園に通っていた頃のこと。
その幼稚園は、子どもたちがやりたい遊びをとことんさせてくれる幼稚園。
長女は毎日楽しく通っていました。


ところがある日のこと、長女が「幼稚園に行きたくない」と言い始めました。
毎日いじわるをされると聞いて、「まさか、いじめ?」と、どっきりしました。

よく聞くと、どうやらクラスで一番体が大きく気も強いまなちゃん(仮名)が原因でした。
腕力も言葉も強力で、色んな場面で自分のわがままを通してしまうところがあったようです。


長女が特につらかったのは帰りの幼稚園バスの時間。
仲の良いりくちゃん(仮名)とお隣に座りたくて、
前もってりくちゃんとも約束しているのに、そんなことはお構いなしに
まなちゃんがりくちゃんの隣に強引に座ってしまうというのです。


年長さんになって、幼稚園生活の中で大好きなお友達と過ごすことが大事になってくる時。
仲良しのお友達との仲を裂かれることは幼稚園に行く一番の喜びを奪われることでした。
長女は小さい時から争いごとが大嫌いで、たいていのことは我慢してしまいます。
たまった我慢が限界にきていました。


「困ったねぇ。『私がりこちゃんと約束してたんだよ。』って言っても、まなちゃんは聞いてくれないの?」
「うん。」
「そうだ、神様にお願いしてみない?まなちゃんがやさしい心になるように、毎日神様にお祈りしてみようよ。」
長女が私の提案に賛成して、毎晩寝る前にまなちゃんのために一緒にお祈りすることにしました。


純真無垢な子どもの祈りは神様に届きやすいと言うし、きっと何かしらまなちゃんと長女の間に神様が働きかけてくださるはず!と私は確信していました。


すると…
神様は思いがけないほど早く、そしてはっきりした形で働きかけて下さいました!


まなちゃんのためにお祈りを始めてから3日が過ぎた頃、
帰りの幼稚園バスを降りてきた長女が
「今日ね、まなちゃんが、お手紙くれたの。バラ組さんのみんなにくれたんだよ。」
「みんなに?」
私は状況が飲みこめないまま、長女が手渡してきた封筒を開いてみました。


ディズニーのティンカーベルの封筒と便せん。
無造作に折りたたまれた便せんを開くと年長さんにしてはしっかりした鉛筆書きでこう書かれていました。


「いつも いじわるして ごめんね。もういじわるしないからなかよくしてね。まな」


クラスのみんなに一枚一枚手紙を書いているまなちゃんの姿が目に浮かびました。
わがままを通すことで、一番心に葛藤を抱えて辛かったのはまなちゃん自身だったのかもしれない…
胸がきゅんとなりました。


子どもの祈りは神様に届きやすいだけでなく、
祈りを受けたその子にも、神様の愛の心が注がれるなんて・・・
祈るのも、祈られるのも、幼な子が最強ですね!


その後もまなちゃんの強引なところは完全になくなったわけではないですが
お手紙をもらう前のように執拗にすることはなくなったようです。


卒園後、長女はまなちゃんと小、中学校は別になりましたが、高校が同じになりました!
ところが、忘れられないはずのそのまなちゃんが同じ学校にいることを
長女は何カ月も気づかなかったそうです。
なぜなら、幼稚園の時は見上げるほど体が大きかったまなちゃんが
自分よりも小さくなっていたのと、
気が強い(わがままな?)イメージが全く無くなっていたからでした!


成長過程で人を判断し決めつけることは大きな過ちを犯すかもしれない…
どんな人も、わが子も、自分自身のことも。
そして、人には人の心を変えることができないとしても、神様にはできる・・・!
まなちゃんに起こった奇跡が教えてくれました。


そしてさらに思うのは、
今の自分があるのは、誰かの祈りがあったからかもしれない・・・!


コロナ禍の高い秋の空を見上げながら、また祈ります。
幼な子の祈りはもちろん、世界中の人の私利私欲のない幼な子のような祈りが神様に必ず届きますように。
そして太陽の光ように、神様の温かい愛の心がすべての人にのぞみますように。

夏が来れば・・・ ~あるお年寄りとの経緯~

f:id:mimipyon:20200817060436j:plain

夏になると思い出す一人のお年寄りの姿があります。
その方は宮田さん(仮名)と言って、我が家の近所にある古いアパートに一人暮らし、
小柄で日焼けしていて70代くらいに見えました。
白いシャツには穴が空いていて、作業服風のズボンはお尻の破れをガムテープで補修してあり、靴も、ガムテープでぐるぐる巻いて補修してありました。銀髪は肩近くまで伸びていました。
一見、かなり近寄りがたい風貌ですが、人に危害を加えるような雰囲気は全くなくとても大人しそうな方に見えました。
夏の日暮れ時になるとアパートの敷地の膝の丈ほどのブロック塀に腰かけてラジオでニュースを聞いている姿をよく見かけました。

ある夏に、何日か続けて、やはりブロックに座ってラジオを聞く宮田さんを見かけた時がありました。暑いのに、エアコンが無かったり、生活に困っておられるのでは?と気になり、声をかけてみました。
私「こんにちは。ご近所のものですが、もしかして何かお困りのこととかないですか?」
宮田さん、(恐縮したように)「どうも、ご心配いただいて。ちょっと電気が止まっちゃってね。」
私「え?!電気が無いと、この暑いのに大変ですよね?}
宮田さん「いやね、請求書見つけて払えばいいけど、おっくうでね~。」
私「すぐに見つかりそうですか?」
宮田さん「はい、探せばどっかにあるんで。大丈夫です!」
「年金もあるし、大宮に住む兄貴が『何かあれば来い』って言ってくれてるんで。」と。
私は内心、本当ならばいいけど…と思いました。
宮田さん「夜はいい風が吹くから、外が一番気持ちいいんですよ。いやぁ、この風がありがたい。」
宮田さんに悲壮感はまったくありませんでした。
宮田さん「ボケないようにラジオ・ニュース聞いてるんですよ。勉強になるしね。学がないからニュースくらい聞かないと」「昔から僕、色んな人に良くしてもらってねぇ。…こんな風に声かけてもらって、ほんとありがたい。」
宮田さんの口からくりかえし「ありがたい」という言葉が出てきました。
不平不満や、誰かを恨みに思う話など全く出てきませんでした。
とても可愛がっていた妹さんがアメリカに嫁いで音信不通になりどうしているのか心配だとも聞きました。
「おおよそ、心からあふれることを、口が語るものである。」と聖書にあります。
宮田さんの心には、大切にしてくれた人と、大切に思っていた人への思いがあふれていました。

私「すぐ近くに住んでいるので、具合が悪くなったり、何かの時には声をかけてくださいね。」
 「きっと神様も宮田さんのこといつも見守っていらっしゃると思います。」
宮田さん「えぇ、何だか昔から人に良くしてもらってねぇ、そうかもしれません。子どもの頃から悪いことできないたちだしねぇ。」
私「私と話したみたいにいつも神様とお話されたらいいと思います。」
宮田さん「えぇ、そうします、そうしますよ。」

翌日、スイカを2切れほど持って行きました。
私「うちで食べきれないので良かったら召し上がっていただけませんか?」
宮田さん「せっかくなのに、すみません!実はスイカ嫌いなんですよ。お気持ちだけいただきます。」
人に迷惑をかけまいとしているように思えて、少し切ない気持ちになりました。

私にできることがあまりにもないので、役所の福祉課に電話をしました。
宮田さんの状況を伝え、ぜひ訪問してほしい、と頼みました。
お役所の人は「ご本人に窓口に来るよう伝えて下さい。一応その方の住所教えて下さい。」と言うだけでした。一度くらい見に来てくれてもいいのに…と思いながら、さっそくご本人にお話したものの、やはり
宮田さん「はい、ありがとうございます!年金もあるし、困ったら兄貴のとこに行くんで大丈夫です!ご親切にどうも!」
もしかしたら、プライドを傷つけてしまったかもしれない、お節介はひかえようかな・・・と思いました。

その後も宮田さんが庭先でいつものようにラジオを聞いている姿を見るとほっとしました。
またさっぱりと散髪して新しいシャツを着ている姿を見て、お兄さんのところに行ってこられたのかな?と思ったりしました。

冬になると、今度はアパートの庭先で七輪で火を起こして鍋を炊く宮田さんを見かけました。
「ガスも止められちゃったのかな?」と心配になりましたが、宮田さんが味見をしながら
「んー、うまい!」と言っているのが聞こえて思わず笑みがこぼれました。
さすが宮田さん、家の中より火事の危険が少ない外で炊事をし、どんな状況でも喜びを見出している…と思いました。

しばらくして、私が子どもの保護者会役員などで忙しくなり、
宮田さんの姿を見ることも減って、気になりつつも日が過ぎていきました。
外で煮炊きする姿も見かけなくなり、もしかして宮田さんに何かあったかな?と思いはじめた頃、
何人かの人が宮田さんのお部屋に出入りして荷物など運び出していました。
宮田さんの姿はありません。福祉課の方かな?宮田さん、どこかの施設にでも入られたかな?まさか・・・?その時宮田さんの安否を尋ねる勇気がありませんでした。

数日後、近所の年配のご婦人から衝撃的な事実を聞きました。
「あの方、亡くなったんですって」。いわゆる孤独死でした。
更に衝撃を受けたのは、宮田さんが煮炊きをしていたアパートの柱や壁に「火気厳禁」と札が貼られていたことでした。宮田さんのことを良く思わない人が「火事でも起こされたらたまらない」と働きかけたようです。宮田さんが外で煮炊きをしなくなった理由でした。むしろ宮田さんは火事の危険を避けるために外で煮炊きをしていたに違いないのに。それは宮田さんのささやかな幸せ、いや、それ以上に生きる糧を奪うことだったかもしれません。

お元気そうに見えて実は具合が悪かったのかもしれない…。どうして続けて気にかけて差し上げられなかったんだろう?自分の家族ならば、もっと何かしたはずなのに…。
後悔してもしきれない、胸のふさがる思いになり、家に帰ると宮田さんの霊魂のためにお祈りしました。
ふと、
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について感謝しなさい。」
という聖書の言葉と共に、「ありがたい!」という宮田さんの口癖が思い出されました。
宮田さんはきっと最後まで不平不満を抱かず、誰も恨まずに旅立たれたに違いない、
神様に近い世界に向かわれたに違いない、そう思えました。
その人生の最後に、尊い神様のメッセージを届けて下さった宮田さん。
その霊魂のために一層祈るコロナ禍の夏です。

オンラインお茶会でリフレッシュ

 

 

f:id:mimipyon:20200720090429j:plain

 コロナウィルスの影響で、教会の集まりやイベントがオンライン開催になりました。ヘブンズフォーチューンチャーチは若者が多いこともあってか、このオンライン活動へのみなさんの適応力に感動するばかり。

 

残念ながらコロナウィルスの感染拡大がもう少し続きそうで、ニュースを見ていると気持ちが重くなりがちな中、コロナにも負けず、教会の活動がさまざま行われていることに元気や刺激、感動をもらっています(^^)


オンラインお茶会 

 教会のママさんたちの集まりとして開催したり、それをきっかけに小人数でちょこちょこと発生するようになったオンラインお茶会は、私にとってコロナ禍での貴重なリフレッシュの場になりました。
家事育児や仕事など、「背負っている日常」をしばし横に置いて、手もとに飲みたいお茶など用意し、画面を通してしばしのおしゃべり。私はコロナ期間、普段メイクはマスクから上だけですが、この日はちゃんとメイク(笑)。お互いの近況や日々の葛藤、エピソードなどをシェアしますが当然ながら話は尽きません(笑)

 思ったことやっぱり「母は偉大」。自画自賛?笑)
仕事も色々、夫も色々、子供たちも色々で、コロナ禍の生活にそれぞれ違う「大変さ」をかかえながらも、ストレスをかかえた家族たちを受け止め、自分と家族の健康を守りながら奮闘するママさんたち。「戦友」たちをたがいにたたえ合うオンラインお茶会です。

 太平洋を挟んでオンラインお茶会

 コロナなしには無かった出会い、貴重な海を越えての交流もありました!
あるオンラインイベントで同席したママさんが何とアメリカ在住(日本人)でした!そのイベントをきっかけに数人で太平洋を挟んでオンラインお茶会が実現!日本よりもコロナ感染拡大が深刻なアメリカでの生活をねぎらい、子育ての葛藤も分かち合いました。


 コロナ禍でできないことも多いですが、この時だからできる新しいことや、新しい出会いがあります。神様は乗り越えられない試練は与えない、乗り越えられる道、その時その時に得られる「何か」を与え、いつも共にしてくださるんだなぁと感じる日々です。